西伊豆田子の鰹節(かつお節)作り名人 芹沢里喜夫氏をお訪ねました。
創業1882年の受け継がれたうま味!
伝統製法の「手火山式焙乾法」(てびやましきばいかんほう)を訪ねて

静岡県賀茂郡西伊豆町田子にあるカネサ鰹節商店さんは、鰹節の製造・直売所です。四代目社長の芹沢里喜夫さんをお訪ねして、うまみを引き出す鰹節の伝統製法「手火山式焙乾法」のお話を伺いました。
カネサ鰹節商店 伝統の鰹節の作り方
創業1882年のカネサ鰹節商店は、鰹の加工業として新鮮な鰹を使い、本枯れの鰹節をはじめ、削り節各種、鰹のなまり節、鰹を使った燻製類など、種類も豊富。店の裏手では、伝統の製法にこだわって手作業で作る鰹節を干す風景が見られます。土佐の余市が残した製法をさらに極めたのが田子に残る「手火山式燻乾法」の田子節だと言われています。
本物との出逢い、芹沢氏の鰹節作りへのこだわり

芹沢さんに「手火山式焙乾法」の大変なところをうかがうと、一番気を使うところは、火かげんだそうです。火の具合で鰹節の味が決まりますから、自分の手の感覚を信じて、一本一本に温度を感じながら調節して燻す工程は、同じ事をやっていても何故か人によって味が変わるそうです。
鰹節のルーツを研究。「堅魚」の語源は・・・
鰹節作り名人の芹沢さんは、鰹節のルーツも研究されています。今から約8000年前の青森県八戸遺跡から鰹の骨が発見されていることから、既に縄文時代から鰹が食べられていたと考えられます。鰹に関する文献は、奈良県の天理大学付属図書館にある「古事記」に書かれたものが最古の資料であると言われ「712年、第二十一代、雄略天皇が河内に御客された時、屋根の上に鰹を干している家に気が付き、誰の家かと聞いた」という内容が記載されています。
現在でも神社などの屋根には「堅魚木(かつおぎ)」があり、本数によってその神社の格付けがされているそうです。鰹は「魚」偏に「堅い」と書きますが、「堅魚」の語源は、伝承料理研究家によると、「鰹の身が煮ると堅くなるところからこう呼ばれるようになったのではないか」とのことです。
鰹節には1500年あまりの歴史があると言われています。鰹節が発展したのは江戸中期のことで、燻製して乾燥を早める手法が開発され、「土佐の与市」が全国へ広げたそうです。
全国鰹節探訪一覧のページへ